メキシコシティ、やっぱり好きなところ

ブログを始めたは良いけれど、仕事やプライベートで慌ただしい日々を送っていて、なかなか更新できず一年が経ってしまいました。でもせっかく作ったので、ちょっとずつでも書いて行こうと思います。

 

さて、メキシコシティに住み、仕事を初めて一年が経ちました。これを期に、この場所、メキシコシティについて第一印象と照らし合わせてどう変化があったかについて振り返ってみようと思います。シリーズにするかも。まずは、一年経ってやっぱりここが大好きだなあ、と言うところ。

 

1 果てしないエネルギー

 

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満員のメトロ。毎日がバトル。

この街の一番の特徴だと私が感じるのは、とにかく無限のエネルギーに満ちあふれているところ。

他の発展途上国に住んだ事はないので比べられませんが、もしかしたら関係があるのかもしれない。なんだか、皆、特に若者たちはエネルギー一杯なのです。まだ、未来はこれからだ、良い国を作って行きたい、新しい事にチャレンジしたい、世界に認められたい、そんな意気込みが伝わってくるのです。

ここに住む人に、リミットはない。何かを成し遂げるために、もしくはただこの大変な社会で生きて行くために、辛くてもあきらめず、苦労するのもへっちゃら。通勤にボロボロ満員メトロで2時間かかってもへっちゃら、残業で夜明けまでかかってもへっちゃら、ざあざあ振りの雨の中傘がなくてもへっちゃら。それどころか、仕事が終わってから意気揚々と専門学校や習い事へ向かい、朝はジムでトレーニング、週末になったら盛大にパーティーでストレス発散。

そんなエネルギーが一体どこから湧いてくるのか?理解はできないですが、感染するので、自分まで、ちょっと位大変でも「こんなのなんてことない!」と思えてしまいます。そこがこの街で一番大好きなところです。

 

2 グローバル

 

メキシコシティにいると、世界とつながっている気がする。

 

私は、自分の生い立ちから世界中に家があり、友達や家族がいます。喋り始めた頃からバイリンガルだし、見た目もアジア人のようなアメリカ人の様な混ざった感じ。何人、というよりは、世界の住人です、と言う方がしっくり来る気がします。

 

シティは、そんな「世界の住人」に寛容な街だと、私は感じます。

 

外国人で仕事の都合や個人的な理由でメキシコシティに住んでいる人はとても多く、知り合った人がドイツ人だった、ロシア人だった、アメリカ人だったなんてことも良くあります。もちろん、世界中の料理を食べる事もでき、日本人学校、フランス人学校、バイリンガル教育もかなり普及しています。

 

この街に住む人も、海外に興味のある人が多い印象です。日本から来た、というと質問攻めにあり、ムラカミハルキを読んだ、アニメが好きだ、日本に行った事がある、従兄弟が日本人と結婚している、など何かしらの接点が有る事も珍しくないです。英語はもちろん外国語を学んでいる、もしくは学びたいと言う人が多いことはとても素敵だな、と感じます。私の日本での出身地が閉鎖的な田舎雰囲気の街なので、余計このような海外に対する興味が新鮮に感じるのかもしれません。

 

そしてもう一つ、個人的な理由。

 

私は、欧米人っぽい外見から、日本だととても目立ちます。どこにいっても不思議な視線を感じるし、日本語をしゃべると驚かれるのももはや普通に感じるようになってしまいました。

 

メキシコは、もともとメスティーサ、メスティーソ(混血)によって造られた国。原住民に近い容姿の人もいれば欧米系に近い容姿の人も入れば、黒人に近いような人もいる。色んな言語を喋る人がいる、それが普通。

 

日常生活で、私はスペイン語を喋ります。そして誰にも驚かれない。欧米系の容姿をしたメキシコ人もたくさんいるし、ここに住む外国人がスペイン語をしゃべれるのも結構普通だから。「普通に受け入れられる」。それだけ。それだけの事が、私にはとっても特別なことなのです。

 

3 文化

 

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UNAM大学のコンサートホール、Sala Nezahualcoyótl.

カルチャー。今回は、民族文化、ということをいっているのではありません。文化に溢れた街だということです。

 

例えば日本。よし、美術館に行こう。と決めたとする。多分ずいぶん前からチケットを買うか、当日長い列にならんで高い入場料を払うことになる。その前に、その美術館に行くのに一時間以上電車で動いている。とっても面倒。正直、日本にいるころ自分の意思で休日に美術館に行く、なんてことをした事がありません。考えた事もなかった。

 

メキシコシティは、美術館や博物館に溢れています。ちょっとダウンタウンにでるだけで、よりどりみどり。入場料は安いし、日曜日はメキシコ人および長期滞在ビザの外国人は無料!彼が芸術好きということもありますが、月に一度位はどこかの展示を気軽に見に行きます。

 

あとは生の音楽。この街に入れば、ジャズでもロックでも、ミュージカルでもクラシックでも、何でもあり、毎週どこかしらでいつも何かのコンサートが行われています。

 

私は高校時代から合唱好きで、クラシック寄りの人ですが、この街はクラシックが好きな人には楽園だと思います。メキシコ国立大学のオーケストラ(Orquestra Filharmónica de la UNAM)やメキシコ市のオーケストラ(Orquestra Filharmónica de la Ciudad de México)など、メキシコ中で最高レベルのオーケストラが勢揃い、チケットも150 pesoから 200 peso(千円から千五百円)など気軽に行けるお値段。海外からの指揮者やソリストなどが招待されることもしょっちゅうあり、もちろんとってもプロフェッショナル。

 

趣味で市民合唱団にも入っていますが、アマチュアにしてはかなりレベルが高い。結婚式やイベントで歌ってしっかり活動資金を調達し、プロフェッショナルのソリストや指揮者に来てもらって週二回練習する。あとでまたこれについては書きますが、何しろ皆音楽が大好きで、歌が大好きで。素敵だなあ、と思います。

 

このような経験は、日本に住んでいたら絶対無かっただろうな、と良く思います。

 

 

今回は後編! ユカタンへの2回目の度から、メキシコシティに到着するまで。お楽しみください!

また来たよ、ユカタン!そして。。。

また戻る!という約束を忘れる事無く、大学4年目に、今度はマヤ語を習得するべくユカタンに帰還しました。この2回目のユカタンへの旅が、人生を大きく変える様な決断へとつながるとは思いもよりませんでした。

 

着いた瞬間から、久しぶりの人、久しぶりの風景に「やっと帰って来た!」と幸せいっぱい。「ここに住む事になっても、悪くないな」という思いが頭を横切ることも。その「悪くないな」が現実になったのには2つの大きな原因があります。

 

一つ目は今一緒にいるユカタン出身の彼に出会った事。前に来たときから知り合いではあったのですが、2回目に来た際、久しぶりだから会わないかと誘われ一緒にコンサートを見に行きました。なるべくマヤ語に触れられるように、首都のメリダを離れてMayahablantes (マヤ語話者)ばかりの小さな村にいる事が多かったこの期間ですが、メリダに戻って来る度に彼と会って、一緒に過ごす事が多くなりました。プログラムが終わる頃、正式に「彼女になってくれないか」と申し込まれました。

 

二つ目の理由は、スペイン語の先生から、「もしこっちに来る気があるなら、私の学校でプログラムを手伝ってもらいたい」と仕事のオファーをいただいたこと。お給料は多くはないけれど、4年生後半で就活を始めておらず、将来の道が定まっていなかった上、先生の仕事にとても興味を持っていた私にとってはとても「良い話」でした。この二つの理由を足がかりにして、ついに彼にも「OK」の答えを返し、ユカタンで1年暮らしてみる、という決断をしました。

 

思いがけない引っ越しと現在

大学に戻って卒論を終え卒業、一端日本に里帰りしてから、いよいよ再びメキシコへ。一年のお試し期間、と決めて、大好きなユカタンでの生活が始まりました。先生の学校で英語や日本語を教えたり、自分も参加した大学のプログラムの主催側としてたくさん学び、たくさん働いた。正式に付き合い始めてからずっと遠距離だった彼ともやっと一緒に過ごす事ができた。彼の家族や友達と会ったり、時間の有るときはちょっと遠出して村やセノーテ、遺跡を探検したりと充実した日々でした。

 

が、1年と決めたにも関わらず、思ったより早いタイミングで転機が訪れました。6ヶ月経った頃、突然彼がメキシコシティで働く事に。一緒に行くか、ここに留まるか、はてはいっそ日本に帰るか?選択を迫られた私。「また遠距離は嫌だ」という気持ちが強かったのと、ユカタンは賃金相場が非常に低く、このまま生活していくのがきつかったということで、思い切ってメキシコシティに引っ越し、という結果になりました。

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 ユカタンはこんな神秘的な地底湖セノーテで有名です。ジャングルの奥の村にぽつんと有るようなところを探すと、人いないし汚染されてないし、入場料もほぼ無料!と言う訳でこれがどこかは教えません。。。

大都市にびっくり!

        メキシコシティは、はっきり言ってユカタンとは別世界。ここに来て初めて、「メリダって田舎だったんだ!」と気づきました。まるで九州とか四国の「大きな」町に住んでた人が初めて上京したかのようなカルチャーショック。メトロがある!でっかいビルがある!人が東京並みに密集している!(調べてみると世界の都市の人口密度ランキング、東京が1位のところメキシコシティちゃっかり4位ランクインしてますね。参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/世界の都市圏人口の順位)

シティについてから本格的に就活を始めました。現在、仕事も決まり、ようやく「暮らし」の形が安定して来た時期。ずっとやってみたかったメキシコでの暮らしについてのブログ、始めるなら今だ!という訳でこのブログが誕生しました。

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街だー!でっかい街だー!

私の背景:全編

 ちょっと長くなるので全編後編で書いて行きます!全編は産まれてから(笑)メキシコに初めて到着するまでです。

文化の狭間で成長した子供時代

私カメ子は俗にいう「日英ハーフ」です。(ハーフという言葉は分かりやすいのはいいのですが私としてはあまり使うのは好きではないです。それについては別の記事でまた説明しようと思います。)父が日本人、母はアメリカ人。アメリカ生まれですが、幼稚園以降は日本で育っています。

高校までは日本ですが、特にインターナショナルスクールなどに行った訳ではなく日本の学校です。「私はみんなと違う、普通じゃない」ということから外見などにコンプレックスをもったり、逆に英語が得意などの利点もあったりの子供時代でした。今振り返ると、外国人として日本に住んでいる母の視点からも物を見る事ができたため、「日本で普通の事はそんなに普通じゃない、おかしな事もたくさんある」そして「日本の外にも世界があって、違う風に生きてる人がいる」という事が自然に分かっていたと思います。例えば、友達のお母さんが「うちの子は馬鹿だから〜」「カメ子ちゃんはうちの子より頭良いから〜」なんて言ったりすると、「そんなこと言っちゃダメ!◯◯さんの子供は馬鹿じゃないよ!」などと言い返したり。みんな普通にそんなこというのに、「それは日本人だけ!おかしいし間違っている」といつも言っていました。普通を普通で受け入れない様に育ててくれた両親には感謝しています。

性格は控えめだけどいつも「ちょっと変わった子」でした。動植物を始め虫も大好きで、どこでも木に登ってたり、外国作家のファンタシーを読むのが好きで、はまると食事もお風呂も忘れて読みふけっていたりしました。

ちなみに「かめ」が私のシンボルみたいになっているのは子供の頃からです。家でかめを飼っていたことからかめが大好きでいつもかめばっかり書いていました。のんきもので自分のペースで行くのが好きなあたりは実際かめに似ているかもしれない。。。

 

アメリカでヒッピー学生時代

大学は、日本を出てみたいと前から思っていたので、留学という形ではなく、直接アメリカの大学に入学しました。それも、標準的な大学ではなく、自然に囲まれたキャンパスで少人数制、そしていわゆる「ヒッピー」な学生が集まるような学校でした。私の育った日本とは正反対の世界で、特に1年目はカルチャーショックでなかなか周りになじめずにいました。アメリカのテレビやポップカルチャー全く分からないし、周りの人がとても活発で社交的に見えて自分と比べてしまったり、試験も成績もない授業に戸惑ったり。

この頃から人類学に興味が湧き始め、どこか原住民の文化が体験できるところを探していました。2年目の始めにそのきっかけでスペイン語の先生に出会い、彼女に背を押されて初めて、メキシコのユカタン半島に向かう事になるのでした。

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大学のあるメイン州。カナダっぽいですがカナダじゃないです。自然に囲まれたキャンパスでした。

 

ユカタンに恋をする

ユカタンはかつてマヤ文明が栄えた場所。今でもたくさんのマヤ人が住んでいて、マヤ語も多くの人に話されています。スペイン語の先生はここの出身で、毎年生徒を連れて三ヶ月間でスペイン語をマスターするプログラムを行っていたのです。スペイン語といえばオラとタコスくらいしか分からなかった私も、ユカタンを去る頃にはコミュニケーションには困らないくらいになっていました。しかし、言語の習得と共に、この経験からユカタンに恋をしてしまった私。あくせくしているアメリカの大学生活とは正反対に、ゆったりした時間が流れるユカタン。何かを成し遂げようと必死になる代わりに、人生を楽しんで生きる事と家族と過ごす事を大切にするユカタン人。そこにいることで、自分までもっと寛容で、温かい人間になれたような気がしました。「人と話すのが苦手」「たくさん人がいる場所が苦手」「自分に注目が集まるのが苦手」そんな苦手が、「もっとたくさんの人に会いたい」「色んな人と話して彼らについて知りたい」「自分の事ももっと知って欲しい」という気持ちに次第に負けて行く。まるで違う人に生まれ変わったような感じ。

大好きなユカタンに、また戻りたい、絶対戻る、そう約束してアメリカの大学にもどるのですが、言語を学び新しい文化を知る、この体験を通してついた自信は、この後の大学生活でも大いに助けになりました。

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のんびりした時間の流れるユカタンでの日々。犬も日差しを避けて休憩。

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お祭りに着飾った人たち。色とりどり。

 

 

そんな先生の学校はこちらです。(宣伝で失礼します。)

www.picy.org.mx

 

後編に続く。。。

 

 

 

カメ子って誰?このブログは何なんだ?

カメ子です!このブログにお越し頂いてありがとうございます。初めてのブログですが、楽しく読めて何か新しい事を学んだり、そうそう!と共感できる場になるよう頑張って更新して行きます。

自己紹介

私は「どこ出身?」と聞かれると非常に困る類いの人です。端的に言えば、アメリカ生まれで日本育ちの日米ハーフ。大学はアメリカで勉強し、その大学の関係でメキシコのユカタン半島でスペイン語を勉強しました。卒業後、ユカタンで生活し始め、あるきっかけから現在暮らしているメキシコシティに引っ越しました。(ここら辺の過程は説明すると長くなるので後ほど書こうと思います。)

今は、メキシコシティで働きながら、メキシコ人の彼と生活しています。そんなメキシコ生活についてのブログです。

 

ブログで書いていきたい事

メキシコに住み始めてからずっと、ブログはやってみたいなと思っていました。とりあえず「生存する」サバイバル状態から始まり、「暮らし」の形がだんだん整って来た今、ついに始める訳になりました。概して、こんな事を書こうかと思っています。また、他に「これについて書いてほしい!」という事がありましたらぜひ教えてください。

  • メキシコの文化について(初級編)メキシコってどんな国?メキシコ人ってどんな人?食べ物とか、お祭りとか、場所の紹介とか。文化の、表面的に見えやすい部分。
  • メキシコの文化について(上級編)これは私の考察になるので少々意見の是非があると思います。国として、民族としての考え方とか、価値観とか、習慣とか、そういうものでしょうか。外国人として生活するからこそ見えてくるものってあると思います。

  • メキシコでの私の暮らしについて。日々のできごとや、生活、料理、恋愛などなど。

  • メキシコから見えてくる日本、世界。逆に、海外に住んでいるからこそ見えてくる、日本の不思議な点、面白い点っていうのもあると思います。

  • 多文化にルーツを持つ人間としての自分の経験。私の子供時代や学生時代についても少しずつ書いて行きたいと思っています。日本も多様化していく中で、色んな人の色んな視点を表に出して行く事が大切だと思うので。

こんな人にとって面白いかもしれない!

ブログを書いているのは、もちろん私自身のためでもありますが、その他にも例えばこんな人が読んだら面白いかな〜、こんな人に読んでもらいたいな〜と思って書いてます。

  • メキシコに住んでいる人やこれから住む人、そしてメキシコについてあまり知らないけどなんだか面白い!と思っている人。メキシコについてもっと深く知ってもらいたい。メキシコのここが大好き!という気持ちや(たまに)ここが大変だ!と言う気持ちも書いていきたいです。
  • 外国にルーツを持つ人や帰国子女、またそのような人のパートナー、親、家族など。ミックスルーツとしての視点や、多文化にルーツがあるからこそ経験することなどを共有していきたいです。
  • ちょっと違った生き方をしてみたい人、そんな生き方の一つについて知りたい人。こんな人もいるよー、こんなでもなんだかんだ楽しく生きてるよーという一例になれればいいな。
  • メキシコ人・ラテン系の友達やパートナー、家族を持つ人。ああうちもそれある!と共感してもらいたい!

 

次の記事は、私の生い立ち、なぜメキシコに来る事になったかについてのお話です。